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1. フラッシュバック

1.「フラッシュバック?」

 僕は、フラッシュバックのような現象をしばしば経験する。

 一般には、フラッシュバックというのは、ショッキングな出来事の記憶を鮮明な映像とともに思い出す現象として知られるている。PTSDの人がこの現象にさいなまれるようだが、調べてみると、アスペルガー症候群などの発達障害の人でも起こすそうだ。その場合のフラッシュバックはPTSDの場合と似ているが相違点もあるそうで、「タイムスリップ現象」と呼ばれるらしい。僕の経験しているものも、きっとここに分類されるものかもしれないが、一応、僕なりにこの現象について分析してみようと思う。

 そこで、この現象をフラッシュバックみたいな現象ということで「フラッシュバック?」と名付け、以降記述してゆくことにする。

 

1.1. 「フラッシュバック?」の内容

 だれしも、嫌な記憶にさいなまれるという経験をしたことがあると思う。そのような記憶は、思い出したくなくても日常のふとした瞬間に思い出してしまい、時に叫びたくなるような、いてもたってもいられない気持ちになるものだ。僕の場合も同じで、嫌な記憶を思い出してしまうということがままある。

 ただ、思い出してしまう記憶のバリエーションは無数にあり、また、内容はPTSDの人のようにショッキングというほどのものではない。例えば、「教室で先生に怒られた」「友人に誤解されるような一言を言ってしまった」など、日常の些末な事柄が多い。このような記憶は無数に僕の中にあるが、どういうわけか思いだそうとしても全く思い出せない。どうも、無意識下に「嫌な記憶」がデータベースとして蓄積されおり、無意識的にデータが再生されるようだ。そして、日常生活の中で経験した嫌な出来事も、無意識的に適宜データベース化されていく。(我ながら一体こりゃなんなんだ!)

 

 また、「フラッシュバック?」には鮮明な映像を伴わない。映像よりは音声(声色や台詞)の方がよく記憶されているように思う。この点で、一般に理解されるフラッシュバックと違っている。ただ、「映画のスクリーンみたいに」という例えがされるように、僕の場合でも、記憶は、映像は鮮明でなくてもまるで映画館のような没入感を伴って再生される。そして、やはり「フラッシュバック?」を起こすと心がかき乱されるような、激しく感情が揺れ動くような気持ちになる。これはなかなか耐えがたいものだ。

 そして、「フラッシュバック?」は尾を引かない。自分がどんな記憶を思い出していたか、「フラッシュバック?」から醒めると全く思い出せないということがしばしばあるのだ。醒めた後では、自分の意識が飛んでいたような感じがする。このように、「フラッシュバック?」は時間的にも、感情的にも一過性である。

 

 こうしてひととおり記述してみると、この現象は夢にとても似ているように感じられる。

 

 

1.3「フラッシュバック?」はいつ発生するか

 「フラッシュバック?」は、第一に、「自分の部屋のいるとき」「最寄駅から歩いて帰る途中」「入眠前」「電車の中」「風呂の中」「数式を解いているとき」など、日常生活の中でも、特に「思考の自由度」が高いときに起きる。

(「思考の自由度」は、僕が勝手に考えた概念なわけですが、どうもこの概念を使うとかなり正確に説明できそうなので、以下、この概念を使っていくことにします。「思考の自由度」とは、あるものに対して、自分がどれくらい注意を集中させているか/させていないかを表します。「思考の自由度」が最も高い状態とは「無心」や「することがないとき」、低い状態とは「本を読んでいるとき」「悩んでいるとき」「映画を観ているとき」「体を動かしているとき」などがあてはまります。)

 ここに挙げた場面では、どれもリラックスしていて、他者の視線が存在しなかったり、気にしなくてもいいと思えるような場面だ。また、興味をそそられるものがあるわけでもないし、何か注意を払わなければいけないものがあるわけでもない。

 

 例えば、自分の部屋にいるときは何をしても自由だ。また、家に帰るときには習慣化したルートを歩くべく習慣化した足の前後運動を行えばいいだけなので、頭の中では何を思っても構わない。電車の中では、混んでいれば他人に注意が向くけれど、座っているときなどはただ到着を待てばよいだけであり、入眠前もただ入眠を待つだけだ。また、「数式を解く」ということは、「決まった規則に従って計算を繰り返すことで答えを出す」ということであり、式を立てるとき以外は頭では何を考えていてもよい。

 このように、「何を思ってもいい、特に注意を向けるべきものがない」というような「思考の自由度」が低い場面で、「フラッシュバック?」は起きやすい傾向にある。

 

 第二に、「フラッシュバック?」は、心理的負荷が高いときに起きやすい。

 たとえば、進路で悩みごとをしているとき、鬱で心がまいっているとき、焦っているときなどだ。多くの人が感じていると思うが、心理的負荷は、何にしても悪い影響しかもたらさない。

 

 以上のように、①「思考の自由度」と②抱えている心理的負荷の強さの二つが、「フラッシュバック?」の発生に強く関係していると思われる。

 

 

1.4「フラッシュバック?」の解決方法

 「フラッシュバック?」を小さいころから経験してきた僕は、いつの間にかその解消(脱出)方法を身につけており、習慣化させていた。具体的には、「死ね!」と言いながら切腹ジェスチャーをするという、クレイジー極まりない行為をするというものだが、これをすると没入していた嫌な記憶が雲散霧消のように消えるのだ。*1

 この解消方法は高校生のころまで使っていたが、やっていて快いものではないこともあってか、自然に変化していった。現在では「死ね」という他に「死にます」「死にましょう」「死にたい」「クソ」「うるさい」「あー」と言うとか、深くため息をつく、舌打ちをする、顔をこわばらせる、歩いているときにわざと足をひきずるなど様々な対応方法が出来上がっている(相変わらずクレイジー)。

 

 だが、どんなことをして自分を現実へ引き戻すか、いつ引き戻すかということは全く制御できない。「フラッシュバック?」を起こしてから数秒すると、勝手にこれらの方法によって解決が図られているのだ。ただ、人前では「死にたい」とか「死ね」という言葉が出ることは少ないし、声も小さくなることが多い。無意識は「フラッシュバック?」の発現・内容・解消のすべてをつかさどっているだけでなく、環境に対してある程度意識的なようだ(う~ん皮肉!)。

 こうして列挙してみると、これらの解決方法は全て「声」とか「動作」といった身体感覚を伴うものであることがわかる。そして、この身体感覚によって自分を現実へ引き戻すという機能が解決方法には備わっているのだろう。これは、「起きて、起きて!」と声をかけることや体をゆすることで人を起こすことに何となく似ている。

 

 以上、僕の経験する「フラッシュバック?」について、かなり詳しく説明してきた。次に、僕にとって最も悩ましい現象である「考えごと」について説明し、それらを比較しながら考察を行いたいと思う。

*1:

特に、入眠時に無音だと、「フラッシュバック?」や考え事が止まらず全く寝ることができない。なので、小学生のころから寝床にはラジオが欠かせない。